〈2006年4月 連載分 初稿原文まま〉
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企画事務所

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政治力や人脈、色欲を売りにする銀座のラウンジ型と
オリジナリティとクオリティを売りにするオーセンティック・バー型の2種類に分けられる

<本文>1942
過去の成功体験や、失敗体験はもはや通用しないことは、以前の連載から含めると何度となく書いてきた。マーケット自身が変化してしまっているからである。過去に成功した方法では、今は成功するとは限らない。逆に過去に失敗したからといって、その方法が間違っているとは限らない。要はマーケットとの相性なのである。マーケットが変化すれば成功する方法も変わってくる。そんな中、そのマーケットの変化に敏感に反応して、成功する方法を導き出す企画の策定が重要である。そんなことが出来る企画事務所やプランナーが必要である。その一方で、ツールの発達や、情報の氾濫によって、にわかの企画事務所が存在できてしまっているのも事実である。パソコンを持っただけで、グラフィックデザイナーになった気になったり、テレビの情報だけで、耐震構造評論家になった気になるようなものである。

企画事務所の特徴はいろいろあると思うが、銀座のラウンジ型と、オーセンティック・バー型の大きく2種類に分けられるように思う。

まずは、銀座のラウンジ型の特徴について。別に銀座でなくてもいいのだが、銀座が象徴的なので、固有名詞ではあるが、引用した。銀座のラウンジで出してもらえる酒は、一部の特別なものを除けば、基本的には市場で普通に手に入れることができる酒がほとんどであろう。その酒が欲しければ、酒屋でずっと安価に購入することが出来るだろう。ただ、ラウンジで飲む楽しさ、意味もある。ママやナンバー・ワンと一緒に飲みたい、といったその人に注がれる酒に価値がある、という政治力にも似た楽しみ方。と、ちょっとの色欲。そこに集う人達とのネットワークを活用したい、そこに集う人達と一緒のステイタスに自分もいることを確認したい、という人脈や自慰のようなもの。
企画事務所にも同じような特徴を持つところは多い。提案される企画は、どこかで聞いたような文句のどこかで聞いたような理屈。何十年も前から変わらず使い続けている、当時の海外で最新の企画。簡単に手に入れることが出来る情報を、簡単に引用した企画。前述のように情報は氾濫している。知りたい人は、ある程度まではすぐに知ることができる。一方で、知ろうとしない人は、結構、色んなことを知らなかったりする。社会的に高い地位を得て、悠々と過ごしている人、過去の方法のままでも、今まで困ったことはなく、でも、毎日が追われるように過ごしている人であれば、巷に普通に落ちているような情報でも、新しく、価値あるもののように感じても無理はない。そんな人達には、高いクオリティや、オリジナリティの企画を見抜くことは出来ない。必要もないのかも知れない。それよりも、誰の提案なのか、ということが重要なのである。いつもの担当者ではなく、たまに社長が会議に参加すると、それだけで満足なのである。その事務所と、その社長と交流が持てていることが嬉しいのである。その事務所を取り巻く環境を自分も感じることができていることが嬉しいのである。悪いことではない。それは一方ではブランドと呼ばれることである。本来の価値よりも高い価値で取引される所以である。

もう一つのオーセンティック・バー型の特徴について。オーセンティック・バーでは、まずは、バーテンダー(最近ではバー・マン、と呼ばれるらしい)の技術に裏打ちされたオリジナリティ溢れるカクテル、地方を探し歩いて見つけてきたウィスキーのオールド・ボトルといった具合に、そこでしか飲めない酒を頂くことができる。オーソドックスなメニューでも、当然、バーテンダーの技術によって味が違う。客の具合に合わせた酒を出してくれる。時には、飲み過ぎだから、といって、ウィスキーの振りをしてウーロン茶なんかを出される。無理に酒を勧めない。サイドメニューも酒に然りである。そこにもフルーツのカッティングのように、バーテンダーの技術が活かされたものも提供される。
企画事務所にも、同じような特徴をもつところがある。奇抜ではないが、独自のマーケット分析による新しい企画。世界中を足で稼いできた、未だに知られていないが汎用性が高い情報。既存のものであるが、新しい切り口によって新しくなった価値。依頼人の事情に合わせて、例えば段階的に展開される企画。企画を成功させるための企画の実行についても、監督する。企画を一番有効に使用できるのは、その策定者であるから。企画策定者が、企画の実行の監督をするのは、当然の話だと思う。これらのことは、手間がかかり、キメの細かい配慮が必要である。なにより、鍛錬された企画力が必要である。そんなに多くの人が一様にできることではない。数多くをこなすことは出来ないだろうし、それ故、市場に知られる機会も、そう多くはない。

 

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空港施設

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多様化した個性の中で、国籍、性別、年齢、階級、全てを問わず利用される場所であるから、もっと直感的に、もっと利便性に注力したデザインが必要である

<本文>1726
この10年程で海外を含めて飛行機に乗る機会、空港を利用する機会は滅法増えた。バブル期にすら全く海外に出歩かなかった私でもそうであるから、バブル期に海外に出歩くことに馴れた人であれば、今の空港利用の機会は、尚更、増えたことであろう。何しろ、航空券は破格に安くなった。この安さに馴れると、海外の国内線の高さに驚く。それほど日本発着の飛行機利用が多いということなのであろうか。
空港利用の機会が増えた、と言っても、やはり空港の持つ、理由のない高揚感は特別である。意味もなく、なんとなく楽しい。外国語が飛び交い、外国人が行き交い、長距離の移動、旅行が前後にあって、皆、なんとなく楽しそうで。

国籍や性別、年齢といった先天的な特徴から、体力、コミュニケーション力といった後天的な特徴まで、様々な特徴をもった人が同じ目的を求めて利用している。それを直感的に誘導するサインが必要である。同時に、誰もが不都合なく利用できる施設が必要である。なんて、今後の公共施設や商業施設のヒントが含まれているのだろう。この辺を早くから実行していたという点で、商業施設の企画では、今まで海外の事例を参考にしてきた理由の一つであろう。元より、国内にも外国語を母国語とする人達が溢れていただろうから。ようやく、今の東京で、外国人が街に居ても違和感を感じず、街自身も彼らに対応したファシリティ、サインが出来はじめている、といった具合である。加えて、ハートビル法の範疇にあるようなインディペンデント・デザインは、日本に限らずであるが、更に必要になるであろう。そういった意味でも、今の東京の状況は、今後の日本は、空港のようなユーティリティが、もっと必要とされるだろうと感じる。

にも関わらず、国内外限らず、空港で不便を感じることは多い。デザイン・コンシャスの流れはここにも見ることができる。しかし、ここでの『デザイン』は表層的なデザインで、利便性に結びつくものではなく、エンターテイメント性に結びつくものが目立つ。飛行機の乗り降り、国の出入り、その前後の生理的施設利用、生活利便施設利用といった、空港の基本的な利用もままならないのに、飲食店の椅子が格好良くても、窓からの眺めが良くても、あまり意味がない。後者が不必要なのではない。優先順位の高いほうから解決すべきではないか、と思う。ちょっと戻って、同じことが大型商業施設にも言える。多くは書かないが、商業施設の基本的な利用の部分でまだまだ改善すべき、欠落しているデザインはある。

空港について、基本的な利用の不便さを少しだけ書いてみようと思う。
まずは、カートの扱いである。チェックイン後でも、機内持ち込みの荷物が重い時には、カートを使いたいものだし、チェックイン前なら尚更である。でも、このカートを引いたままショップや飲食店に入ることは基本的には難しい。ならば、カートごと一時的に預けられる『カート・ポート』のようなものがあればいいと、常々思う。ポーターに預けるでも良し、カートごと入るコインロッカーのようなものがあってもいい。空港によっては、カートが空港の上下階の移動が出来ないようになっている場合も少なくない。カートのデザイン、カートの利用デザインは簡単に、且つ、最も有効に改善される要素である。
次には、バゲージ・クレイムの場所の混雑である。飛行機の貨物室に入っていたものが、順次ベルトコンベアーに載せられてくるのを、見つけ次第、ピックし、ベルトから下ろす、という原始的な仕組みである。雨が当たらないようにする傘と同様、あまりに原始的な仕組みであるが、早い段階でそこそこの解決方法が見つけられたので、以降の進化が見られない例である。しかし、あの場所のカートの混雑、荷物をピックする人達の入り乱れは、毎回なんとかならないものかと思う。
まだまだ挙げればキリがないが、日常的に利用している商業施設では感じることが出来なかったことが、空港という、自分自身が外国人という、特別な扱いになる対象となった時に感じることや、大荷物というショッピングの極端な例のような体験をすると感じることが、たくさんある。空港に刺激を求めて、大型商業施設の企画をするのも効果的だ。

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『商店建築』2006年4月号掲載

 

〈2014年3月 コメント〉

当時は企画の対象のトレンドは飲食店。今は観光、宿泊、地域興し。空港施設については、当時からすると地方空港が幾つも完成し、羽田空港をはじめ主要空港の大改装、新装も行われたが、新しい技術が導入されたり、デザイナー達の手慣れた手法が見られるだけで新しい企画、特定の地域や特定の市場に対して工夫を凝らした企画を見ることは難しい。今こそ、今後こそ、外国人に沢山来て欲しい、と願う市場であるならば、空港はもとより街にも空港で求められるような企画が求められる。デザインが求められる時代だ。

 

 

企画事務所や企画までを行うデザイン事務所の手法として、この傾向は今でも変わらない。
古い民家を宿泊施設にしたり、学校の旧校舎を地域主体のイベント会場にしたり、銀座のラウンジ型の企画は後を絶たない。
商業のようなファッション(移り変わること)を前提としたプロジェクトの場合はそれでも良かったが、地域の資産のような永く存続させたい対象を活用したプロジェクトで、この手法の成功率は低いことが容易に想像できる。
今こそ、オーセンティック・バー型の企画が求められる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私がデザインプロデュースした銀座のクラブ『コイ』

参照 » 成果 / 銀座クラブ コイ

 

この傾向は、当時よりもインターネットのコンテンツが充実した現在は特に強くなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チケットの購入から、チェック・イン、ボーディングまでが簡易になってきているとはいえ、他の公共交通機関に比べて一連の手続きに要される時間は多い。それはロスタイムの時間となる。
モノが不足していた時代でも、ショッピングが大好きな時代でもなければ、そのロスタイムにショッピングや飲食といった単一な動機が発動するとも思えない。にもかかわらず、そんな供給が殆どだ。
旅の前後で一番したいこと、長距離の移動の前後で一番したいことはそんなことだけではないはずだ。寧ろ、そんなことの優先順位は低いとさえ思う。
地元の空港からの更なる移動のための体力を回復したい、遅れまいとかなり早めに到着したが眠い、チェックインまでの時間に荷物を持ち歩くのが不便、等々。
この動機は旅行者にとって街でも発動してしまうものでもある。

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