〈2007年10月 連載分 初稿原文まま〉

<Title>
和装業界

<見出し>37
和服が進化して洋服になったのではない。標準から選択される存在になっただけだ

<本文>2316
1970年代半ば、少年時代の数年間を京都の丹後地方で過ごした。すぐに場所を想像出来る人は少ないだろう。京都府の最北端、海に面している部分で、建築的には舟屋と呼ばれる舟の艇庫と住居が混在する建物で有名な伊根という集落も丹後に含まれる。典型的な過疎地だったが、その分、海は綺麗で、潜ればウニは採れるし、山に行かなくてもカブトムシは飛んで来るし、野生のキジと遭遇したり、木の実を摘んで食べたり、小学生の私には実に豊かな毎日が過ごせていた。大人達も活き活きとしていた。なにより、当時は本来の丹後ちりめんの生産に加えて、西陣の下請けとして、反物を織っていたらしく、毎日、朝早くから夕方まで機織りの音が絶えることはなかった。自動車や信号や人の賑やかな音はしないが、多重奏のリズミカルな織機の音で、辺り一帯の繁栄を子供ながらに感じることができた。

先日、テレビでその丹後の現在と30年前を比較するドキュメンタリー番組が放映されていた。まさに私が少年時代を過ごした時間と場所であった。現在の映像には、新しい店や住宅ができたわけでもなく、驚く程に30年前当時と変わることのない、ただただ古びた丹後があった。変わったのは、機織りの音がしなくなったことぐらいだった。ただそれだけでも十分に寂れていた。言いようのない寂しさを感じた。

衰退していくものには、幾つか原因がある。技術の進歩の過程で生まれたものは、次の新しい技術が生まれることで、不便なものとなり、消滅していく。ファッションのように脈絡もなく、突然に風のようにやってくるものは、風のように去っていく。これは、また風が吹くかも知れない。もう一つ、ものが不足していた時代、選択肢が無かった時代から、ものに溢れ、個人の好みが多様化した時代になったことで、マーケットサイズが小さくなったものがある。これは、衰退する勢いのまま消滅する可能性はある。しかし、今のマーケットサイズに応じた供給体制をしき、マーケットが求めている嗜好を外すことなく戦略的に商品を提供すれば、実は、以前よりは一層の安泰を掴むことができる。数ある選択肢の中で、それを選んでいるわけだ。そこには理由、動機がある。その動機を把握することで消費者を確保することは、理由もなく選択している人を止めさせておくよりも容易だ。世の中で、衰退に困っている日本の伝統産業のほとんどはこの三番目の例に当てはまる。

和装業界もしかりである。和服は洋服に至る過程のものではない。和服から洋服に進化したのではない。ちょっと流行したからって、無くなるモノでもない。和服しか選択肢が無かった時代から、洋服も選べる時代になったのだ。当然、和服を選択することもできる。重要なのは、洋服でなく、和服を選択した動機を把握することだ。そして、その動機を誘発する仕掛けを練ることだ。未だにターゲットを年齢や性別で設定する人達がいるが、そうではない。ターゲットは動機の生まれる瞬間、和服を着たいと思うときだ。そこに年齢は関係ない。マーケットを拡大することは、若者をターゲットに入れることではない。和服を着たいと思わせる瞬間を増やすことである。 成熟した社会において、欲求の対象はモノから、金、名誉と移り、最終的には教養に至るのだと思う。必要十分なお金を持ち、自分の知りうる世界での欲しいものは手に入れ、相応の名誉も持ち得た後には、その全ての儚さを憂い、自分に蓄積され続け、丸裸になった時に頼りになる教養を欲しがるのは必然だと思う。これは、決して世の中の一部の金持ちに限ったことではない。情報社会もそれを後押しする。金を求めたって、名誉をもぎ取ったって、モノで埋め尽くしたって、空しい結果を招くだけだ、という報道は後を絶たない。

和装を纏っていると、自信が湧いてくる。俗にいう、締まる、キリッとするというやつだ。自分の日本人としてのアイデンティティを再認識することで、自己の存在に対する不安が和らぐからだろう。そして露呈したアイデンティティを丁寧に守ろうと、緊張感を持って振る舞うようになる。グローバル化が進行し、価値観が多様化する社会において頼りになるのは、自己のアイデンティティである。それさえ持っていれば、付和雷同することなく、自分を主張することができる。そのアイデンティティを再認識させてくれるのが和装である。自己のアイデンティティに通じていることは、教養があることである。日本の文化を再認識する傾向があらゆる業界でみられるようになったのは、この自分を強くするための教養を求めているからであろう。学問とは違う教養である。学校の成績が良くなくたって、和装を見事にさらりと着こなし、着慣れない和服を着ている人の着付けをすっと直してあげられる若い女の子は最高に魅力的だ。きっと本人は気づいていないだろうが、強い力を持っている人なのだろうと想像してしまう。

和装の技術は幸いにして、未だ残っている。マーケットは小さくなったが、逆に求めているものは、はっきりした。和装が引き出してくれる我々日本人のアイデンティティは、求められる傾向にある。マーケットは微増のポテンシャルがあるということだ。過去に繁栄したようなビックマーケットはもう、ない。しかし、現在は、潜在している需要に比して供給は圧倒的に少ない。無理をせず、一発ホームランを求めず、残っている技術と人間を丁寧に養生して培養して、潜在する需要を少しずつ顕在化させて、マーケットを大きくすればいい。寂れたことは供給側でマーケットをハンドルできるいい機会だったと思えばいい。まだなんとかなるぞ、和装業界!がんばれ丹後。がんばれ、日本の伝統産業!

 

<Title>
鴨川

<見出し>37
都市部において、これほど慕われ、あらゆる用途で使用されている公園は知らない

<本文>2218

枯山水庭園が好きで、頻繁に京都に来る。来る、というのは、今、ここが京都だからだ。中でも最も好みなのが、西賀茂にある正伝寺の庭園だ。つつじの大きな刈り込みが、七、五、三のリズムを湧きだして白砂に映える。庭園をはみ出して遠景には比叡山に始まる京都洛北の山々が峰を連ねる。写真では何度か見たことがあったのだが、最初に実物を見たときの感動を忘れられない。 秋だっただろうか。肌寒い季節だったように思う。タクシーの運転手も知らないぐらいの西賀茂の北方。杉の木が鬱蒼と茂る山道をしばし上がると小さなお寺さんが見えて来る。下駄箱で靴を脱ぎ、縁側の方向を見ると、すぐに七のリズムを生んでいる一番大きな刈り込みが見える。これが、庭全体のバランスから見ると、はみ出す程に大きい。小さな寺に対するバランスとしても大きく感じるほどだ。なにか、山奥でひっそりと飼われている見たこともなく大きな、伝説の生き物を発見したかのような違和感を感じた。小堀遠州作と言われる。それ以来、京都を訪れる度に、通っていた時期があった。合計すると何回行ったか数え切れない。ツツジ満開の時も、小雨の時も、オニヤンマが飛ぶときも、雪化粧をしているときもあった。もう、慣れてしまって最初の感動はないが、逆に馴染んだ安心感は生まれてきた。たいていは一人である。今でこそ、メディアで何度か取り上げられていることもあって、たまに自分以外の客を見かけることがあるが、ほとんどは、本当に一人、私一人である。御住職ですら居ないときもある。じっくりと季節を感じ、天候を感じ、反省することができる。

京都の夏は暑い。浪人時代の私は京都に下宿していたのだが、エアコンどころか扇風機すらなかった。自作の網戸の効果は弱く、寝つけない夜が多かった。そんなときには、自転車で鴨川沿いを走って、涼み、眠くなるのを待っていた。昼間もしかりである。川岸の木陰で昼寝をしていたものだ。これが、実に気持ちがいい。正伝寺同様、川の向こうには比叡山も見える。有名な大文字が刻まれている山も見える。春になると桜並木も花を咲かせる。川の上には建物は建てられないので、当然ながら、南北に一直線に伸びている鴨川にかかる橋の上から北側を見ると、ズドン、と遙か北にある雲ヶ畑の山々が見える。川の中には、植物が小さな島をつくっていて、そこに集まる虫を食べるのか、鷺が飛び、鴨が泳いでいる。最近では珍しい川トンボも飛んでいる。浅瀬では、子供達までも泳いでいる。ランドスケープが抜群にいい。ちょっと注釈をつけなければいけないのだが、今、話しているランドスケープは、全て、今出川通りと呼ばれる東西を走る道路よりも、北側での鴨川西岸(右岸)に立ったときの話である。私が住んでいたエリア、自転車で走っていたエリアである。

鴨川で特徴的なのは、その用途の豊富さ、自由さだ。私のように、昼寝をしている人、読書をする人、サックスホーンのロングトーンをひたすらに練習している人、ジョギングをしている人、自転車に乗っている人、犬の散歩をしている人、弁当を食べている人、テニスをしている人、キャッチボールをしている人、ペタンクをする人、挙げればキリがない。このように書くと、多摩川のように相当に広い場所を想像する人がいるかも知れないが、右岸も左岸もそれぞれ奥行きは20mもないだろう。そんなものだ。だから、多摩川のように、野球グランド、テニスコートがあって、用途を決めているところとはちょっと違う。そんなスペースはとれていない。ただ、長手方向は数キロにはなるだろう。10km以上だろうか。考えたことがない。

実は、鴨川で本当に特徴的なのは、このランドスケープと用途の豊富さに因果関係を持つことで、ほとんどの人が一人で利用していることだ。正確にいうと、一人でもなんの目的もなく、足が向いてしまう場所であるということだ。西洋の公園と日本の庭の大きな違いは、西洋の公園は、コミュニケーションの場であり、他者と触れあうことで他者を知り、自分を認識する場所。日本の庭は、自然と向き合い、自分とコミュニケーション、自問する場所と私は解釈する。池泉回遊式、舟遊式のものも含めて、特に枯山水庭園のような鑑賞式が多いものは、特にその傾向が強い。この日本の庭の特徴を鴨川の両岸、特に右岸は持っている。その感じ方について、枯山水庭園のように、ただ静かに座ることを要請するのではなく、昼寝もよし、ジョギングもよし、音を出してもよし、どういう方法で、感じてくれてもいいですよ、と自由に感じ方を選べる庭のように思う。その効果を引き出す装置であるランドスケープを持ち、きっと、その効果を感じて、決まりのない方法で皆は利用しているのだと思う。

近年の大型商業施設では日本庭園を配する事例が増えてきたが、前述の効果を持ち得ている庭があるだろうか。何が違うのだろう。商業施設という東京の中でも最速で時間を刻んでいる場所では、自問する時間を持つきっかけすら見い出せないのだろうか。所詮、ストーリーも持たず、必然性もなく、ジャスト・デザインでレイアウトされた石や緑では、大きな時間の流れを止めてでも向き合ってもらえる対象にはなり得ないのかも知れない。

涼みに自転車を走らせていた時から20年以上。随分と速い流れには慣れてはきたつもりだが、呼吸困難になると、鴨川に戻ってきてしまう。この効果は東京では得られそうにない。

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『商店建築』2007年10月号掲載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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