海外に対する憧れは少年期から強かった。

アメリカ横断ウルトラクイズを食い入るように見て、アメリカの音楽を聴いて、アメリカに行ってみたいと強く思っていた。ウルトラクイズの高校生版である高校生クイズが開催されると聞いて、すぐに応募したが、あと少し、全国大会の準決勝で敗退した。ニューヨークには行けなかった。

外国文化を日常的に感じたくて、港町にある大学を受験した。横浜国立大学の建設学科に入学し、大学時代を横浜で過ごした。在学中、英語を使いたくて、米国のサーカス団でアルバイトをしたこともある。

20代からは徐々に英国の文化に傾倒していく。伝統を尊重し、モダンとハイブリッドさせ、隠れた部分にこそデザインを施し、意外性に富んだコンセプトを楽しむ。日本のセンスと非常に似ている、と思った。

大人になると、英国嗜好は本格的になった。古い英国車をレストアし、お城で造られているというトラスフレームの自転車を注文し、ナポレオンが誂えたという老舗の帽子屋で帽子を購入した。そんなことをしているうちに、ロンドンのクリエイター達と知り合いになり、自分のプロジェクトにチームとして巻き込むようになった。

そして、英国のブランド、アルフレッドダンヒルと3年間にも渡っていくつものプロジェクトにプロデューサーとして、クリエイティブディレクターとして、デザイナーとして、デザインコンサルとして関わることになった。 » “成果” の項目参照

一方で、英国文化を嗜好するほどに、今井俊満氏の教え通り、日本文化の経験も深めていった。 » “アーティストでもなく……” の項目参照


1995年の独立以降、図っているわけではないが、外国企業、外国ブランドが依頼人になることが多い。その殆どが欧米人だ。 » “成果” の項目参照

また最近では、外国人を日本に誘客するインバウンド、外国で日本を売るアウトバウンドのプロジェクトにも関わっている。


それらのプロジェクトを推進する中で、彼ら彼女らが私達日本、日本人に求める要素を実感している。それは日本に居て、日本人とのみ仕事をしていては想像もつかない内容である。


依頼人やチームのメンバーとして付き合っていた外国人の中には、プロジェクトが終了してからも、付き合いが続いている人達も多い。プロジェクトではなく、プライベートではまた違った興味を日本に対して持つようだ。

知らぬ間に仕事で絡んだことのないただの外国人の友人も増えた。それは欧米人には限らない。観光の仕事をするようになってからは、街で困っている外国人や、店で何かを知りたがっている外国人には積極的に話しかけるようにもなった。


英語は不得意なのだが、伝えたいと強く思い、伝えて欲しいと思われていれば、伝わるのは必然だ。


しかし、神社のおみくじで中吉を引き当てた米国人に中吉の意味、おみくじの内容の全て、龍神伝説、ひらがなの成り立ち、日本文化の創生について説明しなければならなかった時にはさすがに苦労した。

プライベートでの彼らの興味のジャンルの広さと知りたい深さには驚いてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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