利休の朝顔の逸話には共感する。
正確な話しは判らないが、要約すると、こういうことだ。
利休の自宅での秀吉を招いての茶席にて。
美しい朝顔が見られる、と楽しみにしていた秀吉に対して、もともと庭に沢山花をつけていた朝顔を全て摘み取って、茶室に一輪だけを挿して設えた、という話し。
もともと庭にはたくさんの朝顔があったところを、全て摘み取ったという、その仕業が“一輪”というコンセプトを際だたせている。が、もともとなかった場合においても、この手法は本質的だ。
美しい朝顔を見たいという秀吉に対して提案するコンセプトは幾つかある。大きくは二つ。朝顔そのものに特徴をつけるか、見せ方に特徴をつけるか。
前者は、例えば世界中の朝顔を探してきて、抜群の幾つか、或いは一輪を提案する。これは膨大なお金と、時間を必要とする。後者は利休のように朝顔そのものは庭に咲いていたものであるが、生物としての朝顔そのものの美しさが際だつ設え方を提案する。これにはお金も時間もかからないが、朝顔の本当の美しさを知る、本質を見極める能力とセンスが必要だ。そして、このアイディアを反射的に生むことが出来れば尚良しだ。
これは私の仕事に似ている。
バーカウンターをデザインする場合。
世界中から銘木を探してきて、最高級の仕上げでデザインするのか、バーのカウンターに本当に求められている機能や美しさを理解して、それが達成できる最小限のコンセプトでデザインするのか。前者は膨大な時間と、お金がかかる。後者は本質を見極める能力とセンスが必要。そして、それを瞬時に発想できれば最高だ。
さらに前者は、既成の概念の中で、最高級のものを提案する方法。後者の場合には、バーカウンターの既成の概念とは全く違う形や大きさを生み出す可能性もある。
実際には前者の機会を得られることは殆どない。殆どは予算があり、スケジュールがあり、時に矛盾した依頼主の要望がある。そしてそれらがかなり厳しいことも珍しくない。
自分で申し上げるのは気恥ずかしいが、このような場なので、恥を忍んで敢えて口にしてしまうが、私は本質を見極める能力とセンスがあるらしい。
クリエイター達が、尻込みする、絶対に出来ない、と言ってしまう条件でも、課題の本質を見極め、なんとか達成してきた実績がある。大手有名コンサル事務所や設計事務所が依頼主を満足させられなかったことを、なんなく達成してきた実績がある。
埋もれている本質を見抜くことができれば、それを傷つけることなく生きたまま新鮮なまま、削り出す切り口、手法も自然と見えてくるものだ。
そんなことを言って、そんな仕事ばかりが来てしまうのは厄介だが、そんな仕事におもしろみを感じてしまうのも事実だ。 » “成果” の項目参照

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