〈2007年9月 連載分 初稿原文まま〉
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マルケス・デ・リスカル

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マウンテンリゾートでは、天からのギフトを自分に充填できる。豊かさを感じられる

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何度となく本連載で書いているキーワードがある。『リゾート』である。ここ20年ぐらい、バブル初頭からの現在までのリゾートの変遷をキーワードで概論すると、ビーチスポーツやゴルフといった『レジャー』、エステや食事といった女性主導の『ファッションの体験』、ただただのんびりと時を過ごす『解放』、自分のルーツそのものや、自分のルーツに影響を与えたことを体感する『文化の体験』と変遷していきている。それに応じてリゾートを楽しむ場所も変化してきている。その顕著な例で、後半二つのキーワードが上手く掛け合わされているのが、沖縄である。リゾートとはレジャー、という考え方は、バブルが終了した1992年でリセットされた。その後の冷静沈着化したマーケットによって、ここまでようやく、リゾートの考え方は成熟してきたのだ。特にビーチリゾートにおいては。
ここに、一つ、盲点があった。山のリゾート、マウンテンリゾートである。バブルで最もこっぴどく被害を受けたマウンテンリゾートは復旧に時間がかかっていた。景気が復活してき始めた今まで、だ。しかしながら、あんなにバッシングされ、バブル後、その低落振りは毎日のように報道され、身近な人間でも被害を被った人間は数知れなかった、ゴルフ場開発、ゴルフ会員権販売が、また小口化、少額化することで再熱しているらしい。おりしも、都心部は不動産バブルである。不動産に限らず、景気も一部では最高潮である。余った金額、余裕の気持ちが、都心部とは全くリンクせず、地下が下落している地方の山のリゾートに向き始めた。想像の通り、その企画は未だ20年前の『レジャー』というキーワードで括られる内容のものだ。成熟どころか、変遷すらしていない。ゴルフ場を中心として、スパ、ホテルを配する。
当時、その地方の人口の何十倍もの集客人数を目論まないと成り立たないビジネスを敢行することで、今や、市や町まで破産する事態を引き起こしてしまった。行政は極論すればビジネスのプロではない。ビジネスのプロである民間ディベロッパーが匙加減をしなくてどうするのだろう。金に執着した民間企業は、価値を土地建物から転化してなんとか生き延びることができる場合がある。しかし、土地に執着しなければならない地方行政はそうはいかなかった、という話である。それがまた繰り返されるのかと思うと、切ない。
先日、スペインのビルバオから120kmほど離れたスペインバスクの一つの地方、リオハというエリアを訪れた。ワインの産地で有名なエリアらしい。目的地はリオハの中でも非常に小さい町にある、マルケス・デ・リスカルというフランク・O.・ゲーリーの設計したホテルを有するワイナリーだ。辺り一面、見渡す限りなだらかな丘が連続しているのだが、その全てが葡萄畑だ。その丘の合間に尖塔形の建築様式を持つ教会を中心にした小さな村が見える。村以外には建築はほとんど見ることは出来ない。そんな中にあのゲーリー建築が華やかに、踊るように存在している。
ワインにはほとんど興味がない私であったが、折角なのでワイナリー見学やワインや葡萄を使用したヴィノ・セラピーを体験したり、バスク料理を頂いたり、間近まで葡萄畑に囲まれたプールサイドでゆっくりして、時間を過ごした。ワイナリー見学をした後には、このエリアでずっとしていた独特の匂いは、ワインのものであることが判った。そんな時間を過ごしていると、今まであまり経験したことのない、自然から自分になにか充填されているような気分になった。周囲の畑にも豊かさを感じる。ビーチリゾートが、解放や消費、刹那的というキーワードで表現されるならば、マウンテンリゾートは、充填や豊か、永続的な積層、といったキーワードで表現されるものだと思う。別の切り口で表現すると、海は若者的で、余る力を発散したり、文化的な生活でこびりついたストレスを削ぎ落とす場所。山は熟年的で、枯渇していた部分を補ったり、自然の一部である本来の人間のポジションを再認識出来る場所のような気がした。
マルケス・デ・リスカルのホテルは客室数で本館別館合わせて40室余り。観光客を狙った商売をしている店は周辺にはない。このワイナリーの中にワインを売るショップがあるだけだ。有名な建築家を採用し、世界中からこのワイナリーを訪れる人はいるだろう。しかし、その数を限っている。ワイナリーの経営が永く存続するに足りる観光収入があればいいのだろう。建築を引き金にしたパブリシティで、ワインのブランドの認知度が上がることや、この場所を訪れた人達の口コミで、世界中でリテールの売上げが上がればいいのかも知れない。天から授かったギフトを大事にしながら全て利用して、必要最小限の手を加える、という姿勢に非常に共感し、好感を抱いた。身の丈にあった開発である。
海外旅行の人数がピークだった2000年を構成した世代は30代後半から40代に成長した。60代以上の元気なシニアは年々増え続ける。そんな人達には、もはや海のような消費したり、解放したりするビーチリゾートではなく、寧ろ、山のように枯渇している部分を充填してもらえるマウンテンリゾートのほうが適しているのかも知れない。そうだとすると、キーワードはもはや『レジャー』ではない。

 

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名物料理

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なんだかんだいって、名物料理は食べてみたい。どこがいいのか教えて欲しい

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大学時代を横浜で過ごした。大学一年生の時、横浜の中華街に頻繁に出掛けていった。横浜と言えば、中華街で、中華街と言えば、当然、中華料理だ、と思ったからだ。そんなわけで、大学の4年間は中華街に通い詰め、その中でも、後半は一軒の店ばかり通っていた。味については、何年も通えば、そこの店の味が好きな味になるし、その店はなにより、深夜まで営業していて、且つ、値段が当時の私には適当だった。今でも、中華街といえば、そこに決めている。大学時代の仲間が集まるような時には、だれからともなくその店にいつのまにか決定される。
夏のドライブ旅行の途中、立ち寄った八戸の三陸海岸脇の小さな旅館で食べた、夏の名物料理、いちご煮は絶品だった。その後、一度リピートした程だ。アワビとウニのお吸い物である。東北地方の朝もやを表現しているという。
南仏ニースの北西部、ヴァンスという小さな村を訪れると毎回宿泊する、馴染みのオーベルジュで出される南仏の名物料理、ブイヤベースはそれ一皿でお腹がいっぱいになるぐらいの量で、しかも美味しい。
鮨が好きになって、小樽には美味しい鮨屋があると聞いて、勇んで行ったことがあるが、美味しい店は見つけられなかった。鮨は祐天寺にある馴染みの寿司屋が好きだ。
旅行中の長崎で友人の家に招待され、そこの家族の食卓に混じって頂いた時に食卓の中央に出された、皿うどんは4玉、5玉はあろうかという家族サイズで、皆でつつきながら食べた。楽しかった。皿うどんとは、本来、そういう食べ方をして、そういうポジションにあるのだろうな、と感じた。
浪人時代の京都は、お好み焼き屋の上に下宿していた。年間できっとお好み焼き、焼きそば合わせると、500食以上は間違いなく食べただろう。高校時代を浜松で過ごした私にとって、本格的なお好み焼きの味は初めてで、以降、その店の味が私の理想のお好み焼きと焼きそばの味になっている。残念ながら、私の大学合格、横浜へ引っ越しとともに、店を閉めることになって、現在は存在しない。関西に行くたびに、美味しいお好み焼き屋を探すのだが、なかなか好みの味に巡り会わない。
名物料理は、旅行に行くと、まず経験したいものの内の一つだ。その土地に住んでいると、その名物料理の裏事情、流通から主人、スタッフの評判、常連客の客層まで、を知らずに年月をかけて知ることになるので、自分の好みの店に見つけられる場合は多い。しかし、旅行先や知らない土地ではそうはいかない。にも関わらず、漠然とした情報がある、というのが厄介だ。小樽と言えば鮨、大阪といえばお好み焼き、と言った具合だ。どこが美味しいか、或いは、自分の好みかなんて情報は持ちあわせてない。
東京に住むようになって、横浜に東京人を案内することがある。その時には、中華街に行きたい、ということになる。横浜人のように何度も通ったか、思い出があるか、誰かに教えてもらうか、しない限り、東京人はきっと、中華街にある膨大な量の店の中から自分の好みの店を見つけることは、ほとんど不可能であろう。特徴も分からず、特別な思い出もない店は、なんとなくそこの名物を食べたぐらいにしか、印象に残らない。結果、言うほど、美味しくないよね、という結末を迎える。これが、名物料理に美味いモノなし、というメカニズムのような気がする。
その土地で頂く名物料理が全て美味しい訳ではない。以前にも書いたが、話題性を持たないことは、特に話題を必要としている名物料理にとっては致命的である。その話題を感じながら、一緒に連れ立っている人と楽しみながら頂くのが、名物料理である。話題がある方が、純粋に味を求めた料理よりも効果的、魅力的である。その話題をきっかけにした楽しい時間が、美味しいという記憶になって、口コミやリピート、果てにはその人の味覚の基準にもなったりするのだ。
話題、トピックスを知らせる、その人の好みの方向にナビゲーションするシステムが必要だ。専門誌化されるぐらいに情報が多い雑誌類では、もはや、情報のフィルタリングは行われていない。存在する全ての店を載せているようなもので、ナビゲーションの役に立たない。ブログは、ずっと追っかけている人や、その人の情報で何度か成功したことがあれば別だが、基本的にはその発信元の人物のライフスタイルを知らないので、信用できない。インターネットのナビゲーションに載っている情報は一般的、大衆的で、ここぞと言うときには使えない。こんな時にこそ、ホテルのコンシェルジュだと思う。しかも、そのホテルのグレードやスタイルが明確なことが重要で、そのグレードやスタイルに沿ったナビゲーションをしてくれることが重要である。料金が高いけど、気取っていないホテルは、そんな料理屋を。料金が安いけど、サービスにこだわりがあるホテルはそんな料理屋を。コンシェルジュは自分のホテルのポジションを知った上で、そのポジションの情報を厚く持っているべきで、経験しておいてくれると尚いい。
観光地では特に、なんだかんだ言っても、名物料理は食べたいものだろうから。

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『商店建築』2007年9月号掲載

 

〈2014年7月 コメント〉

この原稿を書いたのは2012年8月。
サブプライムショックを引き金にして、東京都心部を中心にした不動産バブルがはじけ始め、ほぼ同時期に私の中でも、話題性の高い建築とテナントで企画される単純な商業開発に対する意欲が減退した時期。
逃げるように、かねてから一度は間近に見てみたかったフランク.O.ゲーリーの建築を参拝すべく、バスク地方を訪ねた。
ここで、リゾートに対する概念が大きく膨らみ、現在の日本の地方観光へと導入したい欲求へと繋がることになる。

 

 

 

 

resortの語源は、"re-sortir" と言われる。
"何度も"という要素と、"出掛ける、外出する"という要素で構成されているらしい。仏語を知らない私にとっては、"sortir"は建物内で見られる非常口のサインに書かれている言葉としての認識が強い。そのため、"sortir"は"駆け込む、逃げ込む"という印象を持ってしまう。
そうなると、"re-sortir"は"何度も逃げ込む場所"という、私としてはしっくりとくる意味となる。

 

 

 

 

 

 

 

沖縄には、心身を思わず解放してしまう圧倒的に美しい自然と、現代の日本では消えかけている日本人らしい美意識や精神性、それらを繋いできた慣習が残っている。

 

 

ほんの少し前まで自粛や、体力不足により頓挫低迷していたリゾート開発も、今、また、ほんの少しの希望や簡易的な施策によって回復した体力をもって進み始めた。
10年以上にも渡って東京や外国資本の未熟な開発に右往左往させられ、先祖代々守ってきたギフトを犠牲にしてきた沖縄でも、また、開発花盛りとなっている。
今後将来の観光客の大量輸送を見込んだ大型のホテルが、新たに沿岸部に壁のようにそびえ立ち始めた。海側にベランダや窓を配して、道路側である山側にはほとんど窓すらないその数十メートルの高さのコンクリートの建物は異様である。
自然への解放感も、日本の美意識もなく、学習を放棄した事業の効率性しか感じることは出来ない。
デザインは2007年以降、ローカルコンシャスの流れであるから建材やグラフィックのモチーフとしてその土地のものを活用するのが常套手段となっている。しかし、そんなデザイン手法で日本の美意識や精神性を国内外の観光客に感じてもらえる可能性は低い。
口惜しいけれど、コンクリート打ち放しの建築に禅スタイルを感じてくれる外国人ですら少なくない時代なのだ。もう少し知恵を絞って、工夫を凝らして国内外の観光客にプレゼンテーションできるデザインを施すことは出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一見奇抜なデザインも辺りのなだらかな丘の稜線とリズムを成し、一瞬理屈っぽいワイン色のチタンも現地の匂いを強調していた。


ホテルの周囲にデザインで葡萄の木を植えているのではなく、葡萄畑の中に忽然とホテルがある。スパから見えるのは、海ではなく葡萄畑。葡萄の匂いに包まれながらプールサイドで休養する。


 

 

 

 

 

 

 


沖縄のかき氷、"ぜんざい"。どこが美味しいというよりは、ここは機会ある限りたくさん回って食べ比べるのが面白い。ここは那覇。


海ぶどうの握り寿司。沖縄で食べる海ぶどうは食感に勢いがある。


前コラムの流れで、バスク地方、サン・ジャン・ド・リュズのマカロン。しっとりとした生感は他では経験したことがない。


今や恵比寿にも出店してしまったナポリのピザ屋。ピザはトマト料理ではないかと思わせるあの味は、ナポリならではのもの。


オーク樽フィニッシュの米焼酎のお気に入りを探して、人吉のスナックで20種類以上を利き酒して味のマッピングをしてみた。


焼尻島のサフォーク羊。この肉はあまりにも高級で地元でもなかなか口にすることが出来ないそう。年に一度の祭りでは味わえる。


長崎のトルコライス。これも沖縄のぜんざい同様、街中にあふれるお店の中から自分の好みを見つけるのが良い。ナポリタンブームにあやかって、東京でも食べられるようになるかも知れない。

 

 

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